心の中のもやもやを穴を掘ってさけぶ。穴は埋めない。

ごきごきと首が鳴る…。
ピラティスの先生には、
仕事が忙しいのときと、そうでないとき
体が全然違うと言われる。

仕事して体がこわばって、
高いお金出してほぐして、
そのお金を稼ぐためにまた働いて〜。
なんか不毛だわ。ぷう。。

また話題は変わって、
「情報」ってそんなにエライかなぁ?
と思う。
あと「共感」ってなに?

ある製品の仕事をすることになって、
「いまは共感の時代なのです。友達同志のなかでの
可愛さやキレイさ…」みたいな話をされて、
うげええええええええ、気持ちわりぃと本気で思いましたよ。

なんだそれ? 同じような格好して、
「なになにちゃん可愛い〜」
「なになにちゃんこそ〜」
けっ。

そんなの共感でもなんでもないやん!
牽制と馴れ合い、無難ちゅうことじゃないん?

確かに実生活ではそういうことはあるけれど、
それを大きなテーマにしていいのか?
あまりにもちっちゃくないか?


ああ〜〜〜。もやもや。

この間のこと。
移動の途中やごはんを待っているときなどに、
ずっとiPhoneをいじり、メールとTwitterをしている。
あんまりにも頻繁なんで怒った。
「一緒にいるひとに失礼だとは思わない?」
「自分がされたら嫌じゃないの?」と問うてみれば、
「気にならない」との返事。
だめだこりゃ…。
ひとに箸の持ち方が変だ、地図が読めない、
時刻表が読めない、
食事をするときに頼みすぎる(これは関係ないか?)とか、
怒るくせに、なんじゃいそりゃ。

ひとと繋がる。
ってなんだろ? 共感するってなんだ?
自分と同じ枠のものにだけで寛大で、
他者を理解しようとしないところに、共感なんて
あるのだろうか?
その枠だって、趣味とか、好きな音楽とか、場所とかって、
表面上だけのものじゃないか。

「電話をしてくる前に、”電話していいか?”とメールを送ってくるべきだ」
みたいな記事があって、
あんぐり。
こういうひととは、絶対に理解し合えない気がする。

ああ、海が目の前にあったら、絶対に突き飛ばしてしまう。

いや、心の中で思っていてもいいけどさ。
それが正論みたいに言うのはどうなよってことだよ。

もう世の中わかりまへん。

便利だけど便利じゃないことばかり。

余生は素直に生きる。
できるかどうかわからないけれど、
駆け引きもなしでもうストレートに。
すばばっと直球。
で、だれかにホームランを打たれたい。
青空に高く上がる白球。
清々しい。