我思う。
地震のあとの1枚。
なんだか休みだと思うと気が緩んで、
夜更かしの日々。
そろそろ戻さないと。
この数日、自分なりに「地震」とその後に起きたことを、
もう一回振り返っている。
時間があるって、こういうことなんだなと思う。
気がつくと意識がいってしまう。
で、いっぱいいろいろ考えて、
また泣いたりしながらも思ったことを書いておく。
批判はしない。
安全地帯にいて、
顔が見えないところで、
誰かの言葉を借りて攻撃をしない。
意見を言うなら自分の言葉で。
そして「自分はこうする」という
きちんとした決意と行動を伴って示すようにしたい。
情報を咀嚼する正しい知識ががないという自覚。
だからこそ、惑わされず。
ヒステリックになる醜さ。
かっこつけだと言われても、
やっぱり嫌だ。
『孫文の義士団』
カンフーアクション全開!
孫文そのひとの偉大さは、
いまいちわかってはいないのだけど…。
(中国の歴史ちゃんとわかってないなぁ…。
宋家の三姉妹には興味あるけれど)
たくさんのひとが、
孫文のために命をかけて、
彼を守るために死んでいく。
思想とか主義とか、革命とか、大義とか…。
たとえば戦国時代とか幕末とかもそうだけど、
誰かのために命を捨てられるとは、
なんだろうか?
反対にその大義があれば、
他人の命も簡単に奪えるものなのか?
歴史はそうやって築かれているものかもしれないけれど、
やっぱりやりきれないなぁ。
そして、その犠牲が「なくてはならない」と
考える人は、その命、ひとつひとつの重さに
責任を持って欲しいと願う。
行動で。言葉で。
原発も。テロも。