映画館で映画を観る 

昨年は、あまり映画を観なかった。
という間に恵比寿ガーデンシネマ
シネセゾン渋谷などの閉館の話が聞かれるようになって、
なるべく今年は映画を観ようと思う。

先週は『ハーブ&ドロシー』、
で今週は『ソーシャル・ネットワーク』を。

『ハーブ&ドロシー』
N.Y.に住む現代アートのコレクターである
老夫婦の話。彼らが素晴らしいのは、
「好きだから」「美しい」という理由で、
自分の買える範囲、置ける範囲でアートを集めていること。
彼らが集めた作品には、多くの有名なアーティストのものも
あると思うけれど、違うものもあると思う。
自分の目、価値観。揺らぎのないものをもてることが、
ステキだなぁと思う。

そしてふたりはとても可愛い。
とくにしっかり者のドロシーが、
ハーブをサポートし、手をつないで歩く
姿は本当に可愛いなぁと思う。

この映画とは関係ないのだけど、
最近「美しい」ってなんだろう?
と考えている。

あるとき、物撮りカメラマンのひとが
人工物と自然なもの(植物などを)からめたときに、
そのモノに力がなければ、
自然の作り出す色や形には勝てない。
どうしても自然の美しさには負けてしまうと言っていた。

「美しい」という言葉には、
いろいろな意味があると思う。

映画の中でハーブが作品を見ながら
「美しい」と言っていた言葉が印象的だった。

人間の心の葛藤や思考など、
どろどろとしているものでも、
作品に昇華したときには「美」となる。

自分の中で違うなぁと感じるのは、
たとえば木の器や陶芸の作品をつくるひとが、
「いかに自己をなくし、自然に近い形で」と言う言葉を使うこと。
そうなのかな?
その自己の部分が作品に投影されるからこそ
美しいのではないだろうか?
魅力とはそういうことじゃないのかな。
だからこそ、価値を認め、そこにお金を払うのだと思う。

自然は自然の美しさで絶対的なもの。
木だって土だって、いったんひとの手に触れれば、
人工物だ。

食べ物だってそう。
化粧品もそう。

自然第一主義みたいのって、
反対に排他的で
エゴイスティックな感じがして、
好きになれない。

映画の話からずれちゃった。