夜の遊園地

ふと思い出したので、書いておこう。
というか、暑くて眠れない。
いや、昨日寝過ぎて、眠れないのか。

小さい頃、山の向こうには
夜になるとオープンする遊園地があると信じていた。

小さいときに「子供部屋」と呼ばれた部屋は
2階にあって、両親に「おやすみなさい」の
挨拶をして、階段を上って部屋へ行く。

階段は途中に小さな踊り場があって、
方向をかくっと変えて、
また数段の階段があって廊下に続いていた。
その踊り場の壁が大きな物入れになっているという
変な作りだった。
もう一面の壁の高い位置には、
明かりとりの窓があり、
近くの山の影が見えた。

ときどきその山のてっぺんが
丸く発光しているように見えることがあって、
子供だった私たちは、
それが観覧車だと思っていた。
夜だけオープンする遊園地。
現実と夢や絵本の世界がまだまだごっちゃだった。
「いつか行きたい」と
真剣に思っていて、
よくその夢のような遊園地の話を
3つの上の姉と話していた。

その言葉を親たちがどう思っていたかはわからない。

ついでにどのくらい我が家がへんてこりんかというと、
外観は白い四角い箱で、
昭和40年代においてはちょっと珍しい家だったと思う。
近所の家を見ても、鉄筋コンクリート
フラットルーフの家というのはなかった。

父親の友人が設計したというその家は、
中もかなりへんてこで、
両親子供3人の5人家族なのに、なぜかトイレが3つもあった。
さらに家の壁のほとんどが造り付けの棚になっていた。
食器棚も洋服ダンスも物入れも、本棚もそして子供のベッドも
すべて壁に造り付け。テレビもそのひとつの棚の中に据えられていた。
子供用の部屋は、壁が上下2段、4つのコーナーに分けられ
そこがベッドで、その横がスライド式の物入れになっていた。
まぁ、はっきり言えば押し入れの中で寝ている感じ。

子供のときに、
どんなに普通の4本脚の
ベッドに憧れたかわからない。


さらに動線も変で、
玄関から洗面所、お風呂場、キッチンがつながっていたり、
そのくせに和室だけは純和風で
鉄筋コンクリートの家なのに、
縁側があったりした。

子供の頃は夏の暑い日に、
ベランダに布団を敷いて寝ていた。

さすがに使いにくいといろいろ悟ったらしく、
壁の造り付け家具は変わっていないが、
長い時間をかけてだいぶ普通の家になった。

和室はフローリングになり、
縁側はサンルームになった。

ボーイスカウト出身で
船会社に勤める父親は
夏の休みはほとんどがプールか海へ。
自分で釣った魚で干物を作って
自分以外の家族を食中毒にした。

日曜日にふるまう特製スープの野菜は全部皮がついていた。

庭にある木は、
父親の趣味でほとんどが実のなる木。
梨、栗、桑の実…そして小さい葡萄棚があった。

大らかというより大ざっぱな子育て。
かなりの放任主義

へんてこりんな家で育った子供は、
「普通」なことに憧れた。
でも、やっぱりそれは違うとも思っていた。

外では常識人を装いながらも、
へんてこ魂を持ったまま大人になった。