『アンダーグラウンド』

アンダーグラウンド

先日、渋谷に観に行く。
映画の日だったので、最終の回だったのだけど、
けっこう混んでいた。
昔のユーロスペース

映画好きの知り合いが
生涯の不動の№1という『アンダーグラウンド』。
エミール・クストリッツァ監督作品。
第二次世界大戦からのユーゴスラヴィアの激動の時代を描いている。

1996年の公開時も観ているのだけれど、
そのときは音、音楽の印象が強すぎた。
そのあと来日した、
ジプシー・ブラス系のバンドのライブも
観に行ったっけ。

あらためて観ると
やっぱり音がすごい。
常に鳴り響いている。

そして善も悪も
友情も愛情も、
国を想う気持ちも、
信念もすべてがごちゃまぜで、
それがすべて生きるという
ことにつながっていると思う。

ずぶといまでの生命力。

沖縄などにも通じるような。
(音楽が常にあるようなところも)

生きる。
それの何が悪いのか?
そこに何の意味を持たせる必要があるのか?

主人公のひとりマルコの行動は
どれも嘘がないのだろうと思う。
友人を裏切り騙すことも、
お金をもうけることも。

映画監督のようにひとを動かし踊らせて、
俯瞰してのぞき観するのが、
彼の本質なのだろう。
だけど、その輪に入っていって
真実を語ることはできないから、
大きな孤独も抱えている。

そして、映画のもひとつの側面。
戦争と国。

自分の祖国がなくなってしまうというのは、
どういうことだろうか?

国ってなんだろう?
同じ国の人同士のつながり、
絆ってなんだろう?

あたりまえにあるもの、
通じ合えると思っている
小さな幻想で、
国は成り立っている。

その幻想こそが幸せなのだと思う。

映画の中には、
当時のドキュメンタリー映像が挟まれているのだけど、
ナチスをからの祖国解放に熱狂するひとの映像や、
チトーが亡くなって、涙する老人の姿が印象に残った。

信じる力。
うたがわず信じる心。

それはとても清らかなで熱いものではあると思うけれど、
ときにはそれが戦争や虐殺を引き起こす。

幻想を信じるからこそ、
その幻想を打ち壊すものを排除しようと、
まっすぐな心が争いを起こす。


アンダーグラウンド』は、
映画としては約3時間と長いけれど、
人が生きていくということを見せてくれる。
ときには誰かに踊らされながら、
滑稽に、みじめに、楽しく、哀しく。

映画だからできたことでもあると思う。