生きているひとができること

震災から7か月。
いつの間にか、地震のあの揺れや、
心細かった日々のことなどの
記憶が薄れようとしている。

7か月の間に自分ができたことは
本当に少なくて、
いくらかの寄付と
被災地の写真洗浄のボランティアなど。

本屋さんに行くと、
いくつかの震災関係の本が並んでいる。
そのうち何冊かを手にとる。

『前へ!—東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』
『救命ー東日本大震災、医師たちの奮闘』
『ドキュメント 東日本大震災 救助の最前線で』

一冊だけ小説。福島出身の小説家、古川日出男
『馬たちよ、それでも光は無垢で』を買って読む。

自分でもずるいと思いつつ、
医者や自衛隊、消防など救助する側からみた本ばかり選んだ。

政府や東電を非難する本もあるけれど、
今はそういうものを読みたくはなかったし、
心地よい美談だけを選びとっていたと思う。
それは、ちゃんと明記しておきたい。

阪神・淡路大震災
今回の震災の大きな違いは津波であり、
それが生死を大きく分けている。
助かったひとは怪我も軽傷だけれど、
津波で流された人の多くは行方不明になったり、
亡くなってしまった。

救助するひとたちがつらかったのは、
生存者がほとんどいないということだったという。

それでも遺体を遺族に返すために、
必死で捜索し、身元を探す。

救助のために道を開くために、
道路をふさぐ瓦礫(かつて家であり、
柱であり、家具であったもの…被災したひとにとっては、
決して瓦礫ではないという言葉は重く噛みしめたい)を
除去しようにも、
その瓦礫には多くの遺体がありというくだりには、
ぐっと胸が詰まった。


想像しかできないけれど、
本当に本当に辛いことだと思う。

心に大きな傷を負いながらも、泣きながらも
むなしさや怒りを感じながらも
それらをすべて押し殺して…。

まだあの地震津波や、
原発の事故について俯瞰をしてみることはできないし、
事実もすべてわからない。

当事者ではないから、
その悲しみも苦しみもわかるとは言えない。

甘い感傷だけにならないようにとは思うけれど、
でも、きちんといろいろな事実を知っておきたいと思う。

願わくは、
被災にあったひとはもちろんだけれど、
救助にあたった多くのひとたちにも
心の平安が訪れることを。

被災者でありながら、
救助にあたったひとも多いという。

その心の傷が癒されることを願わずにはいられない。



生きているひとができることのひとつ。
それは忘れないこと。
その辛さを。悲しさを。
そして祈る。



たったひとつ選んだ小説に関しては、
小説家として書かずににはいられなかったのだろうと思うけれど、
まだ早かったのではと思ってしまった。
混乱や悲しみを文学的表現のなかに包み込む意味とは?

またしばらくして読むと違うのかなとも思う。