いつか夜汽車に乗って

ここのところ、
ちょっと具合が悪くて、
一昨日は仕事もおやすみにして、
ずっとごろごろしていた。

目を開けているのが辛かったので、
目を瞑ると自然に睡魔がやってきて、
という感じで、寝たり起きたり。

夜になって少しラクになった。

何気なくYouTubeを見ていたら、
はまってしまったのが、
廃止されてしまった列車、
主にブルートレインのラストランの動画。

最後の車内放送や、
汽笛の音など、本当に泣ける。

はやぶさ」や「富士」、「銀河」、「北陸」「能登」etc…。

ふたつ上の兄は根っからの鉄道好きで、
結局、鉄道関係に就職してしまった。

わたしは、そんなに鉄分高いほうじゃないけれど、
列車に乗るのは好き。

まぁ、飛行機も船も乗り物全般好きなんだけれど。

列車の窓から、
移りゆく町並みや山や川、
海の風景を眺めるのが好き。

本を読んだり、
お弁当を食べたり
揺れにまかせて寝たり。

いろいろな過ごし方ができて、
目的地などなく、
どこまでも行きたいと思う。

寝台車も好き。

夜はちょっとしんみりしながら、
でも、朝はまたわくわくした気持ちに。

以前、金沢にひとりで行ったときは、
夜、上野から寝台車で行った。
朝、金沢について駅前にあった
スーパー銭湯みたいなとこに行って、
お風呂に入った。

ずいぶん昔だけれど、
仕事で「北斗星」に乗って函館にも行ったっけ。
函館の朝市に行って、
おいしいいくら丼を食べた。
白子のお味噌汁も美味しかった。


今は、寝台列車の数も減ってしまった。
本当に残念なことだ。

いつか乗りたいのは、
サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸
とくに「瀬戸」は、
朝、起きたら瀬戸内海なんて、
考えただけでもわくわくする。

駅について海の空気をいっぱいすって、
そしてうどんを食べにいく。

で、銭湯とかあれば、
ひと風呂浴びるというのもいいなぁ。

絶対にやってみたいな。

生きているひとができること

震災から7か月。
いつの間にか、地震のあの揺れや、
心細かった日々のことなどの
記憶が薄れようとしている。

7か月の間に自分ができたことは
本当に少なくて、
いくらかの寄付と
被災地の写真洗浄のボランティアなど。

本屋さんに行くと、
いくつかの震災関係の本が並んでいる。
そのうち何冊かを手にとる。

『前へ!—東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』
『救命ー東日本大震災、医師たちの奮闘』
『ドキュメント 東日本大震災 救助の最前線で』

一冊だけ小説。福島出身の小説家、古川日出男
『馬たちよ、それでも光は無垢で』を買って読む。

自分でもずるいと思いつつ、
医者や自衛隊、消防など救助する側からみた本ばかり選んだ。

政府や東電を非難する本もあるけれど、
今はそういうものを読みたくはなかったし、
心地よい美談だけを選びとっていたと思う。
それは、ちゃんと明記しておきたい。

阪神・淡路大震災
今回の震災の大きな違いは津波であり、
それが生死を大きく分けている。
助かったひとは怪我も軽傷だけれど、
津波で流された人の多くは行方不明になったり、
亡くなってしまった。

救助するひとたちがつらかったのは、
生存者がほとんどいないということだったという。

それでも遺体を遺族に返すために、
必死で捜索し、身元を探す。

救助のために道を開くために、
道路をふさぐ瓦礫(かつて家であり、
柱であり、家具であったもの…被災したひとにとっては、
決して瓦礫ではないという言葉は重く噛みしめたい)を
除去しようにも、
その瓦礫には多くの遺体がありというくだりには、
ぐっと胸が詰まった。


想像しかできないけれど、
本当に本当に辛いことだと思う。

心に大きな傷を負いながらも、泣きながらも
むなしさや怒りを感じながらも
それらをすべて押し殺して…。

まだあの地震津波や、
原発の事故について俯瞰をしてみることはできないし、
事実もすべてわからない。

当事者ではないから、
その悲しみも苦しみもわかるとは言えない。

甘い感傷だけにならないようにとは思うけれど、
でも、きちんといろいろな事実を知っておきたいと思う。

願わくは、
被災にあったひとはもちろんだけれど、
救助にあたった多くのひとたちにも
心の平安が訪れることを。

被災者でありながら、
救助にあたったひとも多いという。

その心の傷が癒されることを願わずにはいられない。



生きているひとができることのひとつ。
それは忘れないこと。
その辛さを。悲しさを。
そして祈る。



たったひとつ選んだ小説に関しては、
小説家として書かずににはいられなかったのだろうと思うけれど、
まだ早かったのではと思ってしまった。
混乱や悲しみを文学的表現のなかに包み込む意味とは?

またしばらくして読むと違うのかなとも思う。

『アンダーグラウンド』

アンダーグラウンド

先日、渋谷に観に行く。
映画の日だったので、最終の回だったのだけど、
けっこう混んでいた。
昔のユーロスペース

映画好きの知り合いが
生涯の不動の№1という『アンダーグラウンド』。
エミール・クストリッツァ監督作品。
第二次世界大戦からのユーゴスラヴィアの激動の時代を描いている。

1996年の公開時も観ているのだけれど、
そのときは音、音楽の印象が強すぎた。
そのあと来日した、
ジプシー・ブラス系のバンドのライブも
観に行ったっけ。

あらためて観ると
やっぱり音がすごい。
常に鳴り響いている。

そして善も悪も
友情も愛情も、
国を想う気持ちも、
信念もすべてがごちゃまぜで、
それがすべて生きるという
ことにつながっていると思う。

ずぶといまでの生命力。

沖縄などにも通じるような。
(音楽が常にあるようなところも)

生きる。
それの何が悪いのか?
そこに何の意味を持たせる必要があるのか?

主人公のひとりマルコの行動は
どれも嘘がないのだろうと思う。
友人を裏切り騙すことも、
お金をもうけることも。

映画監督のようにひとを動かし踊らせて、
俯瞰してのぞき観するのが、
彼の本質なのだろう。
だけど、その輪に入っていって
真実を語ることはできないから、
大きな孤独も抱えている。

そして、映画のもひとつの側面。
戦争と国。

自分の祖国がなくなってしまうというのは、
どういうことだろうか?

国ってなんだろう?
同じ国の人同士のつながり、
絆ってなんだろう?

あたりまえにあるもの、
通じ合えると思っている
小さな幻想で、
国は成り立っている。

その幻想こそが幸せなのだと思う。

映画の中には、
当時のドキュメンタリー映像が挟まれているのだけど、
ナチスをからの祖国解放に熱狂するひとの映像や、
チトーが亡くなって、涙する老人の姿が印象に残った。

信じる力。
うたがわず信じる心。

それはとても清らかなで熱いものではあると思うけれど、
ときにはそれが戦争や虐殺を引き起こす。

幻想を信じるからこそ、
その幻想を打ち壊すものを排除しようと、
まっすぐな心が争いを起こす。


アンダーグラウンド』は、
映画としては約3時間と長いけれど、
人が生きていくということを見せてくれる。
ときには誰かに踊らされながら、
滑稽に、みじめに、楽しく、哀しく。

映画だからできたことでもあると思う。

Macといっしょ。

スティーブ・ジョブスの死去。
ひとつの時代の終わり。

そんな空気が流れていますが、
わたし個人で言えば、
そこまでジョブスに思い入れもなく、
そして知らない。

ただMacをはじめとする、
Appleの製品は、
わたしの生活の中にあって、
それを切り離すことはできない。

最初に触ったパソコンがMac
数字は忘れちゃったけれど、
『LC』。小さな箱みたいな感じで、
とても可愛かった。

それまではっずっと原稿用紙で
原稿を書いていたのだけど、
間借りしていた会社がMacを導入して、
使わせてもらっていた。

この時代のライターや編集者の多数は
原稿用紙→ワープロ→パソコンの順番に、
ツールを替えていったと思うのだけど、
わたしの場合は、ワープロを飛ばして、
いきなりパソコンでそれもMacだった。

コンピュータとして使うというよりも、
ほぼワープロ
そのときはネットにもつながっていなかった気がする。

原稿書く以外は、
「シャンハイ」とかゲームをしていた。

自分用のMacということで、
最初に買ったのが
PowerBook 540C』という機種だった。
Macに詳しいカメラマンのひとに相談して、
秋葉原に買いに行った。
お金が足りなくて、銀行におろしに行ったのを覚えている。

これもほぼワープロとしての使用。
モバイルするにも重すぎた。

その頃になって出版社でも
パソコンが導入されはじめるのだけど、
ほぼウインドウズで、
とにかくMacとの互換性が悪く、
原稿を送っても、
「文字化けしていて読めない」と
何度も言われた。

なので、結局ウインドウズに買い換えた。

そのときに買いに行った
ヨドバシカメラのアルバイトの店員の男の子と
なぜか仲良くなって、
友達になった。

その子はソニーからの派遣のアルバイトだったのに、
なぜかMacおたくで、
そしてシャープのパソコンをすすめた。

しばらくして、その『PowerBook』が
壊れたので彼にあげた。

電話がかかってきて、
キーボードの中が「お菓子のカスだらけだった」と怒られた。

その男の子とは、
今もケンカしながらも、
友達というか腐れ縁のような関係が続いている。

その後しばらく、
ウインドウズの中で、
シャープとNECの機種の行ったりきたりが続いていたけれど、
(ジュースをこぼしたり、お味噌汁こぼしたり、
転んだりして1年に1回ペースで買い換えていた…)
3年くらい前に『Mac Book』で
Macに復帰。

で、『Air』に移って現在に至る。

使い勝手も、
そして重さもずいぶん変わったなぁと
本当に思う。

iPodも最初は重かったなぁ。
クルクルが楽しかった。
こんなにたくさん曲が入ってにも
一生で聴ききれないと思った。

『nano』が出てきたときは、
その小ささと可愛さに驚いた。
そして値段もどんどん手頃になっていった。

iPhoneを買ったのはちょうど2年前。

くだんの彼に
「必要ないでしょ? 何するの?」と言われ、
「小さくて可愛いから」と言って
「また、それかよ!」と怒られた。

でも、わたしにとってAppleの製品は、
やはり「スマートで可愛い」
「小さくて可愛い」
機械だけれど、野暮じゃないところが大きい。

今後、Appleはどう変わっていくのかな?
でも、いつまでも「可愛く」あって欲しいと願う。

心に重石 

秋だからというワケでもないですが、
なんだか気鬱です。
というか空虚です。

空回りさえしない感じで、
ただそこにいるという感じです。

ぱ〜っと何かしたい気もするけれど、
もっと根本的な問題な気もします。

いろいろ考えても、
結局、行動できなきゃ。
頭ではわかっていても、
なんかダメ。

結局、時間に追われて、
対処できることだけを対処している。

でも、そんなことは
いつまでも続かない気がします。

周囲に振り回されていないようなふりをして、
結局、他人をいちばん気にしているのは、
自分かもしれません。

つい映画や落語や本に逃げているけれど、
自分の好きなことを逃げの材料に使っちゃいけないよね。

京都から福岡  

京都の出張が決まって、
おもいがけず金曜日。
次の日から福岡に行くので、
泊まるか帰るか悩む。
せっかく京都に行くのに…。
美味しもの食べたいし。
というわけで、羽田からの飛行機を伊丹からに変えて、
安いビジネスホテルを探す。

遊ぶ気満々だったのだけど、
広告がらみの案件だったので、
担当もいっしょに。
ちぇっ、残念。
時間があれば会いたいひとや、
行きたい場所もあったのに。

当日は3時からの取材なので、
お昼出発でのんびり。
ホテルに荷物を置きたいので、
他の人たちよりも少し早く出る。

お弁当を買って新幹線。

風景を見ているだけで楽しい。
熱海のあたりできらきら光る海が一瞬だけ見えた。

京都駅手前で急に眠気に襲われ、
降りるときに少し慌てた。

新幹線を降りた途端、
むあっとした暑さで、
くらっとくる。

荷物をホテルに置いて、
取材先の会社に。

早め、早めと動いていたら、
約束の時間よりも30分も早く着いてしまった。

駅の近くの喫茶店にでも入っていようと思ったら、
駅前に何にもない!! まじですか〜〜!
炎天下フラフラ歩いて限界になり、
時間よりも早いけれどロビーで待たせてもらうことにする。

取材はさくさく。
約2時間で終了してしまった。

ちょっと時間があったので、
「行きたいところがあるんだけど」と
お許しをもらって、一乗寺まで。

恵文社とか、寄りたい場所は他にもあったけれど、
今回はフィンランドの雑貨を取り扱うお店「S」へ。

以前、オンラインで商品を買って送ってもらったのに、
不在が続いて受け取れず、
戻ってしまって再度送ってもらうということがあって、
おわびもかねて。

お土産渡して、
おしゃべりして、
買い物も。

小さいけれど、とてもセンスのよいお店だった。
またゆっくり来たいなぁと思う。

帰りはバスで中心地まで戻る。

夜ごはんは八坂神社の近くの
カウンター割烹。

十五夜が近いので、
お月見だんごが飾ってあり、
最初のつきだしで、出してくれた。

お料理は品数が多く、
どれも美味しくて満足。

帰りは四条通りを、
ふらふら歩く。
「なんか甘いもの食べたいね」ってことで、
コーヒー屋さんでパフェ。

生クリーム、コーヒーゼリー、チョコレートの
苦甘の絶妙な組み合わせにやられる。

んまっ。

飲みに行きたい気持ちもあったけれど、
我慢して、ホテルに帰る。

翌朝は少し早起きして、
ベタだけれどイノダに行って朝食。

昔、取材したときに、
常連のお客さんはいつも位置が決まっているという、
話があったのだけど、
おじいさんばかりが座っているテーブルがあって、
ここが定位置なのかな? と思う。
新聞を広げ、コーヒーを飲み、
ゆっくりと朝の時間を過ごすご隠居さんたち。

いいなぁ、こんなふうに暮らしたい。

駅まで行って伊丹空港駅のバスに乗る。

1時間弱で着く。

取材もあったので、
久しぶりにパンプスだったのだけど、
足が限界に…。
ビーサン生活のツケが…。

福岡はの便は、
なんとプロペラ。
そしてゲートから歩いて飛行機まで行き、
タラップを上る。
久々だなぁ〜〜〜。

福岡ではIちゃんと待ち合わせ。
もともとIちゃんはJALで、わたしはANAなので、
どこか行くときは空港待ち合わせが多い。

違う土地の空港で待ち合わせるのは、
けっこう楽しい。

高速バスの時間まで時間をつぶす。
小腹が空いたのでホットドッグとジンジャーエール

サンダルは売っていなかった。

長距離バスで甘木というところまで行く。
今年の初めに亡くなった、
Oさんの故郷。
ここにお墓がある。

年取ったら故郷に帰ると言っていた。
よく故郷の自慢をしていたし、
何かあるごとに帰っていて、
県人会とか地元との交流を大切にしていた。

高速バスの停留所からはタクシーで。
川が流れ、田んぼが広がり、
古い町並みが残る。
とてもキレイな場所だった。

Iちゃんと「田舎者ってバカにして悪かったね」
「でも、Oちゃんも悪いよね。こんなステキな場所なら、
ちゃんとプレゼンしなきゃ」
「やっぱり詰めが甘いよな」と
亡くなったひとのことを言いたい放題。

温泉のある旅館に荷物を置き、
町を散策。

春は桜が見事だという。

彼の通っていた中学校の近くを通る。
自転車に乗った中学生が、
通りすぎざまに「こんにちはぁ!」と元気に挨拶。
ちょっとびっくりしたけれど、
「こんにちは〜」とこちらも返す。
そのあと、果物を売っていたおばあさんに、
「よかったら食べて」と切った梨をもらった。
冷たくて水っぽくてとても美味しかった。

続けざまの温かな触れあいに、
「Oちゃんの差し金じゃないの? 自分の故郷を良くみせようと」
「あはは、あるかもね〜」とまたもや毒舌。

旅館には露天風呂があって、
少し苔が生えていたりいい感じ。

日の高いうちからお湯に入り、
ごろごろごろ。
畳に寝っ転がると近くを流れる川の音がした。

お湯は少しぬるめでやわらかく、
長く入っていてものぼせない。

お料理も美味しかった。

次の日も朝からひと風呂。
朝の光に透明なお湯がきらきらしていてキレイ。

朝食後、またお風呂。
お風呂に読みかけの本を持って、
だらだらと過ごす。

ぽとんと音がして、
何かと思ったら木の天井からやもりが落ちてきた。
しばらくやもりを眺めていたが、
ふっと目を離した瞬間にいなくなってしまった。

チェックアウトの時間が遅めだったので、
けっこうのんびりできた。

まずはOさんのお墓参りに。
お寺に行ったものの、誰もいない様子。
仕方がないので、お墓を探す。
彼の名字のお墓があったので、
「ここかしら?」と思うものの、
彼の名前が入っていない。
「違っている?」「まだ納骨していない?」
「名前をまだ彫っていないのかな」
「やっぱり詰めが甘い!」などど
一抹の不安を残しつつお参り。

焼き物が好きだった彼が
ひいきにしていたお店で買ったぐい吞みに、
お酒を注いでお供えする。

言いたいことはいっぱいあるけれど、
やっぱり突然いなくなってしまったことが悲しい。

お墓参りを終えて、
彼の実家へ。

お姉さんがわざわざ来てくれていた。

年をとったご両親に挨拶をして、
いろいろな話をする。
「20年来、いろいろお世話になっていました」と
言ったら、お母さんが
「20年ですか。大学から東京だったから、
私たちよりも長い間いっしょだったのですね」と言われ、
ああ、そうなんだなぁ。そんなに長い間だったんだなと思い、
そして、息子を失った年をとったご両親の思いに涙が出た。

面倒みがよくて、
温かなひと。
いつもお酒飲んで、
床で寝ていたり。
うんちくばかり語って、
しつこくて、
すぐひとに説教をする…。
おまけに仕事できないし。
(誰もが言う、二度と仕事はしたくない)

でも、いいひと。
Iちゃんとも何度も繰り返して言う。
恋人でもなく、友人とも違う、家族でもないひとのために、
なぜ、ここまで来たんだろうね。
でも、彼じゃなかったら来なかったと思う。

ご両親と話していて、
さっきお墓参りをしたお墓が、
ご先祖のお墓で、彼のお骨は納骨堂にあるという…。
ぎゃふん〜!

なので、再度お姉さんとお母さんといっしょに、
お参りに。お墓に供えてきたぐい吞みも取りに行き、
あらためて納骨堂へ。

「もう、やっぱりOちゃんは詰めが甘い」と、
彼のせいにして、ふたりで文句を言う。

お姉さんがクルマでバス停まで送ってくれるという。
お言葉に甘えながら、
車中では、彼の子供のときの話をいろいろ聞く。
お姉さんは、今も彼を「ちゃん」づけで呼んでいて、
温かな家庭だったんだなぁと思う。

彼が通っていた高校の前を通ってくれた。

バス停でお別れして、
博多・天神方面のバスに乗る。

がくっと睡魔に襲われ、
バスターミナルに着くまでほとんど寝ていた。

ホテルにチェックインして、
天神の街を散策。

本当に足が限界だったので、
スニーカーを買う。

Iちゃんは買い物魂に火がついたらしく、
服を買っている。

そしてやっぱり本屋は欠かせない。

まだ読みかけの本があるというのに、
一冊買って、
さらに小さな鳥のチャームを買う。

夜はIちゃんおすすめのもつ鍋。
んまっ。

でも、飲みにもいかずホテルに帰って、
ごろごろしていた。

月曜日も快晴。

朝食を食べて、チェックアウトまで
ゆっくり過ごすつもりが、
少しだけ仕事。

薬院のほうに行ってみる。
センスのよい小さなセレクトショップ
カフェが多い。

あまり詳しく知らないし、
ガイドブックなども持っていないので、
お店の人に「どこか他におすすめのお店ありますか?」という
わらしべ長者的発想でお店巡り。

ある洋服屋さんでは、
貝でできた鳥のブローチを買う。

小さな雑貨屋さんでは、
陶器の鳥のオブジェとネックレスを買う。

あるセレクトショップでは久留米絣のストールと、
小さな器を買う。

荷物もいっぱいになったところで、
カフェでひと休み。

そのあとも家具屋さんや洋服屋さんをのぞいて、
ホテルに戻る。

荷物をピックアップして
地下鉄で空港へ。

Iちゃんともここでお別れ。
「また東京で」

搭乗時間まで時間があったので、
お土産を買ったり、本を読んで過ごす。

帰りの便は窓際。

離陸したときに、雲の合間に月が見えた。

夕暮れに染まる雲海を眺める。
飛行機に乗ってよかったと思うのは、
雲の上からの風景を眺めらえること。

そして都市の灯りの美しさ。

もちろん、電気の問題はいろいろあるけれど、
人間が創り出した美しいもののひとつであることは確か。

いつも夜の便は羽田に降りるときの風景が見たくて、
窓際をとる。

羽田に降りると、すっかり日も暮れ、
高く満月が光っていた。

旅の終わり。
心地よい疲れとともに。
バスに揺られて帰る。

夏の終わり

青空。
白い雲。

でも、もう空気は夏とは違う。

ぐだぐだしているうちに、
夏も終わっていくんだなぁと、
なんとなく思う。

とくに大きなイベントもなく、
でもふらりとどこかに行ったり。

おいしいもの食べたり。
落語を聴きにいったり。
文楽も2回観たし。
映画も観たし。
温泉も入ったし。

でも、もう少し長い時間
どこか、ここでない場所に身をおいて、
ぼ〜っとしてみたかったなぁ。

風の通る畳の部屋にごろんとなって、
うとうとしながら、
顔だけ上げて空を見る。
蝉の音を聞く。
そしてまた目を瞑る。